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日々徒然の雑記帳
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 前の記事で「上杉景勝うんぬん」と書いていましたが、正しくは「上杉景虎」でした。
 『上杉謙信の養子』という一文に気を取られて、景勝と景虎を見間違えていたようです。景勝って自害してたっけ?とは思ったものの、正直そこまで詳しくないので「勘違いだったかなー」と勝手に納得してました。恥。
 ちなみに『戦国時代のおにぎり出土』の全文はこちら↓


鮫ケ尾城跡:御館の乱で焼けた? 炭化おにぎり出土--妙高 /新潟
1月22日13時1分配信 毎日新聞


 戦国時代の武将、上杉謙信の後継者争い「御館(おたて)の乱」(1578~79)の舞台となった妙高市宮内の県指定文化財「鮫ケ尾(さめがお)城跡」で、炭化した米のかたまりが出土し、国立歴史民俗博物館の分析で「おにぎり」であることがわかった。
 上杉家に伝わる古文書などでは、鮫ケ尾城は火で焼け落ちたとされているが、同市教委によると戦火に遭ったことを裏付ける史料が出土したのは発掘調査で初めて。26日から長岡市の県立博物館で展示される。
 出土したおにぎりは4点で、直径5~9センチ、重さ30~68グラム。06年6月に同市北部の鮫ケ尾城跡の通称「三の丸」(標高167メートル)から、焼けた陶磁器などと一緒に出土した。表面のどろを洗い流したところ、炭化した米のかたまりと判明。07年3月に国立歴史民俗博物館に分析を依頼した。
 その結果、断面の様子や表面の様子から、白米だけでできており、米のねばりによって粒同士が密着▽表面には手でにぎったような曲面がある▽布やササのような植物の葉の上に置かれた跡も見つかった――として、おにぎりと特定した。
 同市教委の年代測定によると、おにぎりは1420~1620年との結果だった。乱の際、同城に火が放たれたとする文書が残っており、乱の後は廃城になっていることから、戦火によって兵糧のおにぎりが炭化し、そのまま土の中に埋まったとみられる。
 御館の乱は、1578年に謙信が死去すると、2人の養子のうち姉の子景勝と北条氏から迎えた景虎のどちらを後継とするかで、家臣団が分裂。一時は上杉氏と北条氏との対決にまで拡大したが、翌79年に敗走した景虎が鮫ケ尾城にこもって自害し終結した。
 分析を行った同博物館の住田雅和研究員は「炭化した米のかたまりが出土する例はあるが、おにぎりと特定できるほど保存状態が良いのは珍しい」と語った。【萩原滋樹】



 おにぎりすごいな!大体430年くらい地中に埋まってたのか…。
 炭化していたからこそ残っていたのでしょうが、4個も原形をとどめているものが見つかるとは……凄いですね戦国時代の焼き(討ちに遭った)おにぎりは。根性が違います(?)。
 ところでそのおにぎり達は今後どうなるのでしょう。上杉家関連の資料館に展示するんでしょうか。なんかこう、何故だかものすごく見たいのですが。
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