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日々徒然の雑記帳
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 もう日付が変わる直前だというのにパソコンを立ち上げたのには訳があります。どうしても詳しく知りたいニュースを小耳に挟んだのです。「島左近の名が公文書で発見された」……なんて聞いたら調べるしかないじゃないですか!(そうかよ
 でヤッホーニュース曰く↓


嶋左近:軍師の名、主君の書状に 「重臣」裏付ける“公文書”発見--長浜 /滋賀
4月10日17時3分配信 毎日新聞


 ◇『左近らの指示に従って年貢収納を…』--石田三成から家臣あて
 ◇高月町の豪族子孫宅で発見、「関ケ原」少し前の執筆か--長浜城歴史博物館、公開へ
 豊臣政権の五奉行の一人で、関ケ原の戦(1600年)で徳川軍に敗れた石田三成が、軍師・嶋左近(1540~1600)の名前と役割を書いて、家臣あてに出した古文書が高月町の旧家で見つかり、長浜市立長浜城歴史博物館が9日、発表した。彦根市の佐和山城主だった三成の城主文書が見つかったのは10通目。左近は軍記ものや逸話集に登場するが、正式な文書で名前が確認されるのは初めてで、実像が浮かぶ貴重な発見という。【野々口義信】
 古文書があったのは、高月町唐川の豪族、今井清右衛門尉の子孫宅で、佐和山城主の三成が清右衛門尉あてに出した。文面は、年貢率について左近らに命じたので、その指示に従って年貢収納を行うよう指示する内容。左近らは城にいない三成に代わり、領土統治を代行していたらしい。
 文書は代筆で、サインにあたる花押が三成の物。年号はなく、8月23日の日付で、佐和山城主として伊香、浅井、坂田、犬上の北近江4郡を所領した文禄4(1595)年から同城を退去する慶長4(1599)年の間に書かれたと見られる。
 嶋左近は名を清興といい、元々は大和国の戦国大名、筒井順慶の家臣。天正19(1591)年ごろ、三成の家臣となった。朝鮮出兵の際、三成に従い、関ケ原の戦でも奮戦するなど軍記や逸話集などで知られている。
 同館は、三成の重臣だったことが確認できる重要な文書と見ており、子孫宅から寄贈を受けて、5月23日から同館で始まる新収館蔵品展で初公開する。



 何だかニコニコしました(…)
 「焼き(討ちに遭った)おにぎり出土」の時にもニコニコしてました。戦国時代や幕末あたりに関連するニュースを見るとニコニコします(……。


 うっかり左手小指を強打して爪を剥がしかけた為、未だに小指が何だか痛いです。「a」を打つ度違和感有ります。ので、今日は(個人的に)気になったニュースをお届けして去ります。
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