×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
しゅくだいおわらNeeeeeeeeeeeeeeeeee orz
この状態で、ぼくは、盆休み、平泉に強制連行されていくのDEATH……。
ううう、親父の機嫌取りながら平泉観光するより一人で本屋巡ってる方がどれだけ心の救いになるか…………。いやそれよりも心おきなくカラオケとか、何かこう、そういう鬱憤のはらし方をしたかった………………。
愚痴はともかくですね、しばらくこのブログで取り上げている助数詞に関するクイズというかアンケートの話をしましょう(現実逃避として)。
『1体、2体…』と数えるものはなんでしょう? という質問に対して、今まで返ってきた答と、そう答えた人数は以下の通り。
・死体(4人)
・宇宙人・未確認生物・怪獣(我が母1人/つか、 母 よ ……)
・使徒(1人)
・仏像(1人)
・フィギュア 人形(私1人/wwwww)
大概酷いと思います。ちなみに死体と答えたのは全部私の親世代の方々。なんでだwwww
新しく送られてきた情報で、寺君の母は「仏像」と答えたそうな。
実はこの答えも私と母で話している時に出たのですが、「でも仏像とか神聖なものには色々変わった数え方がありそうだよなぁ」と保留にしていました。
調べてみると、案の定色々あること色々あること。
「躯・体・座・頭・尊・基」、すべて仏像の数え方です。1基、1尊、は聞き覚えがあったのですがこれほど種類があるとは……。使い分けは特に載っていなかったので、まあ今後時間を見つけて調べます(現実逃避として)。
意外だったのは「遺骨」も1体と数えると書かれていたことですね。
1体2体という数え方は「人間・動物の形をした無生物」に使うものと考えていたのですが、遺骨となると骨ですから、まあ生前の姿はほぼ無くなりますしそもそも私には骨壺に入っている状態しか思いつかず。
私としては「人間の“形をした”もの」とは思えないので、この数え方に日本人ならではの死生観を見たと認識します。
壺を数えるなら1口(く、こう)、1壺(こ)、1個、1点、のどれかになるのでしょうが、そうすると数えてるものが「遺骨」じゃなくて「壺」になってしまいますしね……。
死体や剥製を1体と数えるのと同じく、以前「生物だったもの」として数えているのかなーと、推測というか憶測というか、そんなものをしてみます。……たとえ見た目が「人間・動物の形をしたもの」でなくとも、例えばただの白い石と砂のようなものであっても、何より「人間だったもの」して数えていたとしたら、それはまさしく日本人の感性だろうと思うのです(私個人は)。
日本人は卒業式を「別れ」と考え泣くけれど、アメリカ人は卒業式を「新たな始まり」として過去から決別、未来を目指すから日本人のように号泣はしないんだ、という話を読みました(宿題の現代文で)。
過去の緊縛から解き放たれない国民性から視線が過去に向かう日本人、とその文章にあったわけですが……。
なるほど、例えば闘病の末亡くなった方の遺族に臓器提供の話を持ちかけても「これだけ苦しんだのだから、もう体に傷をつけさせたくない、痛い思いをさせたくない」と仰る方がいるとか。死体となった「今」痛みを感じることはなくても、生きていた「過去」に重きを置いてその人を思う、……これも現代文のまた別の問題にあった文章からの受け売りですが。
たとえ「人間の形」をしていなくても、「人間だったもの」を数えるのに『体』という助動詞を使っていたとしたら面白い、というのはそれです。
「見た目」ではなく「本質(その物体が『今』の状態に至るまでの『過去』)」を重視した数え方だとしたら、これ一つからも国民性だとか死生観だとか、そういったものが伺えるのかもしれない、と。……まあ全部推測もとい憶測なので、専門家でもない私がこうまで語るのは、単に現実逃避したさなんですが(英語の宿題終わらないYO★)。
一つ事実を述べるなら、遺骨の別の数え方に「1柱(はしら)」があります。同じく位牌も「1柱」。
これは神仏、神霊を数えるのにも用います。何故か? ……皆さんもご存じの通り、日本では“人が死んだら『仏様』になるから”です。刑事ドラマなどで「ホトケさんは~」と言っているアレです。私としては「見た目」ではなく「本質」を基準にして数えている最も身近な例かと。
位牌は、あんなに小さくとも「1柱」です(本、基、とも数えますが)。なぜなら亡くなって“仏様”となった故人が宿っているから。
日本の幽霊には足がないのもそれ繋がりで、という話をするととんでもなく記事が長く……なってるからもういいか、なんで足がないかと言いますとですね。
まず先に欧米の幽霊の話をしますと、日本と違って普通に足があります。幽霊画の幽霊は足もあるし透けてもいないし、言われなければただの宗教画か何かか、というようなものです(※といっても私が見たのはほんの数枚だけですので全てとは言いませんが)。
唯一幽霊らしかったのはイギリスの絵ですね。自分の頭を片手に墓地を歩いてるおっさんの絵(うろ覚え)。無論足はしっかりとあります。……その直前に見たオーストリアの幽霊画があまりにも「なんの宗教画」という荘厳な感じだったのでギャップに吹いた覚えがあります。言われるまで誰が幽霊なのか本気で分からなかったんです……。
そこにくると日本の幽霊はサービス精神旺盛です。逆立ちしてたり雲に乗ってたり、それはもう面白い格好で描かれるのです。
そうなんです、“生きている人間には出来ない格好”をしてこそ幽霊なのです。何せ“仏様”のわけですから。
……幽霊を仏様と呼んでいいのかはよく分からないのですが、“死んで『人間以外のもの』になった”状態だと一目で分からせる為の格好だとか何とか。この辺りはうろ覚えで専門用語は忘れましたがそれはともかく。
今日の幽霊像は、江戸時代に円山応挙という人が描いた幽霊画が大ヒットしたから、という話でしたかね、確か。白装束の乱れ髪、足のない女の幽霊……そういう、現代において『まさしく幽霊』と言わざるを得ないような絵です。
この絵の幽霊が足を持たないのは、もちろん“生きている人間ではないから”です。……それにしても、幽霊は何と数えるんでしょうね。無生物と言えば無生物、意思を持っているから生物だと言われれば、む、反駁も思いつかない……………………。
………………つーかなんだこの長さ\(^0^)/
現実逃避楽しかったです。つらつら書いていたらモチベーションが上がってきたのでもうちょい宿題頑張ります。
あ、無理に全部読まなくていいです↑^^^^^^^^^^^^^テレビと本の受け売りをごった煮しただけですので^^
疲れすぎて文章が支離滅裂だったら恐れ入りますすみまs(…
この状態で、ぼくは、盆休み、平泉に強制連行されていくのDEATH……。
ううう、親父の機嫌取りながら平泉観光するより一人で本屋巡ってる方がどれだけ心の救いになるか…………。いやそれよりも心おきなくカラオケとか、何かこう、そういう鬱憤のはらし方をしたかった………………。
愚痴はともかくですね、しばらくこのブログで取り上げている助数詞に関するクイズというかアンケートの話をしましょう(現実逃避として)。
『1体、2体…』と数えるものはなんでしょう? という質問に対して、今まで返ってきた答と、そう答えた人数は以下の通り。
・死体(4人)
・宇宙人・未確認生物・怪獣(我が母1人/つか、 母 よ ……)
・使徒(1人)
・仏像(1人)
・
大概酷いと思います。ちなみに死体と答えたのは全部私の親世代の方々。なんでだwwww
新しく送られてきた情報で、寺君の母は「仏像」と答えたそうな。
実はこの答えも私と母で話している時に出たのですが、「でも仏像とか神聖なものには色々変わった数え方がありそうだよなぁ」と保留にしていました。
調べてみると、案の定色々あること色々あること。
「躯・体・座・頭・尊・基」、すべて仏像の数え方です。1基、1尊、は聞き覚えがあったのですがこれほど種類があるとは……。使い分けは特に載っていなかったので、まあ今後時間を見つけて調べます(現実逃避として)。
意外だったのは「遺骨」も1体と数えると書かれていたことですね。
1体2体という数え方は「人間・動物の形をした無生物」に使うものと考えていたのですが、遺骨となると骨ですから、まあ生前の姿はほぼ無くなりますしそもそも私には骨壺に入っている状態しか思いつかず。
私としては「人間の“形をした”もの」とは思えないので、この数え方に日本人ならではの死生観を見たと認識します。
壺を数えるなら1口(く、こう)、1壺(こ)、1個、1点、のどれかになるのでしょうが、そうすると数えてるものが「遺骨」じゃなくて「壺」になってしまいますしね……。
死体や剥製を1体と数えるのと同じく、以前「生物だったもの」として数えているのかなーと、推測というか憶測というか、そんなものをしてみます。……たとえ見た目が「人間・動物の形をしたもの」でなくとも、例えばただの白い石と砂のようなものであっても、何より「人間だったもの」して数えていたとしたら、それはまさしく日本人の感性だろうと思うのです(私個人は)。
日本人は卒業式を「別れ」と考え泣くけれど、アメリカ人は卒業式を「新たな始まり」として過去から決別、未来を目指すから日本人のように号泣はしないんだ、という話を読みました(宿題の現代文で)。
過去の緊縛から解き放たれない国民性から視線が過去に向かう日本人、とその文章にあったわけですが……。
なるほど、例えば闘病の末亡くなった方の遺族に臓器提供の話を持ちかけても「これだけ苦しんだのだから、もう体に傷をつけさせたくない、痛い思いをさせたくない」と仰る方がいるとか。死体となった「今」痛みを感じることはなくても、生きていた「過去」に重きを置いてその人を思う、……これも現代文のまた別の問題にあった文章からの受け売りですが。
たとえ「人間の形」をしていなくても、「人間だったもの」を数えるのに『体』という助動詞を使っていたとしたら面白い、というのはそれです。
「見た目」ではなく「本質(その物体が『今』の状態に至るまでの『過去』)」を重視した数え方だとしたら、これ一つからも国民性だとか死生観だとか、そういったものが伺えるのかもしれない、と。……まあ全部推測もとい憶測なので、専門家でもない私がこうまで語るのは、単に現実逃避したさなんですが(英語の宿題終わらないYO★)。
一つ事実を述べるなら、遺骨の別の数え方に「1柱(はしら)」があります。同じく位牌も「1柱」。
これは神仏、神霊を数えるのにも用います。何故か? ……皆さんもご存じの通り、日本では“人が死んだら『仏様』になるから”です。刑事ドラマなどで「ホトケさんは~」と言っているアレです。私としては「見た目」ではなく「本質」を基準にして数えている最も身近な例かと。
位牌は、あんなに小さくとも「1柱」です(本、基、とも数えますが)。なぜなら亡くなって“仏様”となった故人が宿っているから。
日本の幽霊には足がないのもそれ繋がりで、という話をするととんでもなく記事が長く……なってるからもういいか、なんで足がないかと言いますとですね。
まず先に欧米の幽霊の話をしますと、日本と違って普通に足があります。幽霊画の幽霊は足もあるし透けてもいないし、言われなければただの宗教画か何かか、というようなものです(※といっても私が見たのはほんの数枚だけですので全てとは言いませんが)。
唯一幽霊らしかったのはイギリスの絵ですね。自分の頭を片手に墓地を歩いてるおっさんの絵(うろ覚え)。無論足はしっかりとあります。……その直前に見たオーストリアの幽霊画があまりにも「なんの宗教画」という荘厳な感じだったのでギャップに吹いた覚えがあります。言われるまで誰が幽霊なのか本気で分からなかったんです……。
そこにくると日本の幽霊はサービス精神旺盛です。逆立ちしてたり雲に乗ってたり、それはもう面白い格好で描かれるのです。
そうなんです、“生きている人間には出来ない格好”をしてこそ幽霊なのです。何せ“仏様”のわけですから。
……幽霊を仏様と呼んでいいのかはよく分からないのですが、“死んで『人間以外のもの』になった”状態だと一目で分からせる為の格好だとか何とか。この辺りはうろ覚えで専門用語は忘れましたがそれはともかく。
今日の幽霊像は、江戸時代に円山応挙という人が描いた幽霊画が大ヒットしたから、という話でしたかね、確か。白装束の乱れ髪、足のない女の幽霊……そういう、現代において『まさしく幽霊』と言わざるを得ないような絵です。
この絵の幽霊が足を持たないのは、もちろん“生きている人間ではないから”です。……それにしても、幽霊は何と数えるんでしょうね。無生物と言えば無生物、意思を持っているから生物だと言われれば、む、反駁も思いつかない……………………。
………………つーかなんだこの長さ\(^0^)/
現実逃避楽しかったです。つらつら書いていたらモチベーションが上がってきたのでもうちょい宿題頑張ります。
あ、無理に全部読まなくていいです↑^^^^^^^^^^^^^テレビと本の受け売りをごった煮しただけですので^^
疲れすぎて文章が支離滅裂だったら恐れ入りますすみまs(…
PR
お前に言いたいことがある
カウンター
プロフィール
名称: |
しち |
|
性別: |
爺力高い系女子 |
|
年齢: |
酒が美味い |
|
生態: |
周りからは酒に強そうだの見えちゃいけないものが見えてそうだの実は紀元前から生きてるんだよねだのと散々言われているが流石にそんなわけがない。 |
ブログ内検索